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【わかりやすく解説】ゴスペルとは?~ゴスペルとその歴史~


「 ゴスペル」と聞くと、黒人が教会でお揃いのローブを着て歌うイメージや、映画「天使にラブソングを」で修道女が歌うシーンを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。 日本では馴染みがあるようで、ないようなゴスペル。
今回はそんなゴスペルの歴史をたどりながら、どんな音楽なのかをできるだけ【わかりやすく解説】したいと思います。


目次

ゴスペルとは

ゴスペルミュージック(Gospel music)を日本語に訳すと「福音音楽」になります。

ゴスペル(Gospel)の語源は「god spel」で、「god」は神のことではなく、古い英語で「good」「良い」という意味です。「spel」は「伝える」という意味で、「god」spel」は「良い知らせ(ニュース)」ということになります。

また「福音」とは、新約聖書のマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネそれぞれの福音書に書かれている、「イエス=キリストの生涯と教え」を意味します。

つまり「Gospel」とは、「イエス=キリストによってもたらされた、人類の救いと、神の国に関する喜ばしい知らせ」ということになります。

ゴスペルの歴史

1.黒人奴隷

黒人奴隷

17世紀後半、新世界と呼ばれていたアメリカでは、アフリカ人を無制限に奴隷として使うことを許容する法律が各州で成立していきました。

そしてアフリカから強制的に連れてこられた奴隷たちの多くは、南部のプランテーション(大規模農園)の労働者として働かされることになります。黒人奴隷は、土地もお金もなく、自由や希望もありませんでした。

2.キリスト教への布教

キリスト教への布教1

当時のプランテーション経営者は、キリスト教の宗教指導を行えば奴隷たちがより従順になると考えました。また、過酷な環境下にある奴隷たちに自殺をさせないために宗教を与えたとも言われています。
逆につらい毎日が続く黒人奴隷にとっては、絶望的な現在の生活の中で「イエスを救い主だと信じる者は永遠の命を得て天国に導かれる」という教えは、唯一の救いでもありました。

1740年前後と1800年前後の2回にわたり「大覚醒」というキリスト教布教の一大運動が起こりました。この運動の主力となったのは、プロテスタントのメソジスト派やバプティスト派であり、両会派とも奴隷制に反対を表明していました。

その頃の運動の一環として、説教師たちが何日にもわたって屋外で布教活動をする「キャンプ・ミーティング」というものが各地で開催されました。「キャンプ・ミーティング」では祈りや歌もあり、誰かが叫ぶと会衆が歌い返す「コール&レスポンス」と呼ばれる、現在のゴスペルでもよく耳にする手法がおこなわれていました。

布教運動が盛んに行われたことによって、日曜日にはプランテーションの一角に奴隷たちが集められ、牧師の説教を聞いたり、賛美歌を進んで歌うようになっていきました。

3-1.黒人霊歌(ニグロ・スピリチュアル)①

黒人霊歌1

プランテーション経営者は奴隷たちが集団で暴動を起こすことを恐れていたため、奴隷たちには読み書きを習うことや、居住区から外に出ること、集団で集会を開くこと、楽器の使用などを禁止していました。

そこで奴隷たちは一日の労働が終わると、夜遅くにプランテーションの奥深くにある「ハッシュ・ハーバー」(Hush Harbor 静かな避難所)に集まり、歌ったり踊ったりしていました。

その秘密の礼拝集会は「見えない教会」(invisible church)と呼ばれ、そこでは自分たちの気持ちや感情を自由に表現していたのです。また「見えない教会」では、人々が輪になって反時計回りに動きながらリズムと節のついた単調な旋律に合わせて詠唱する「リング・シャウト」(the ring shout)と呼ばれる方法で、仲間との連帯を深めていたとも言われています。

文字が読めない彼らは、祈りや歌も即興的におこなわれ、白人たちの祈りの言葉や賛美歌をどんどん黒人化していきました。

そして時とともに白人が歌っていた賛美歌に黒人の祈りの言葉がミックスされ、「黒人霊歌」(ニグロ・スピリチュアル)と呼ばれる歌が形作られていきました。

3-2.黒人霊歌(ニグロ・スピリチュアル)②

黒人霊歌2

その後、少しずつ「来世への救い」から「現世の解放」へ意識が向かっていくことで、逃亡を試みる者が出てきました。

当時歌われていた「Go Down, Moses」(行け、モーゼよ)という曲は、旧約聖書の中の「出エジプト記」が題材となっています。「出エジプト記」とは、預言者モーゼが当時エジプト人の奴隷だったイスラエル人を約束の地(カナン)へと導くお話です。黒人奴隷たちは、エジプト人の奴隷だったイスラエル人にわが身を重ね、預言者モーゼによって解放されるというストーリーに強い親近感を感じていました。

また南北戦争(1861~65年)の前後には、「地下鉄道」(Underground Railroad)と呼ばれる黒人奴隷を逃がすための地下組織があり、黒人霊歌の歌詞は、黒人同士の暗号として用いられることもありました。

ゴスペルへの道のり

ゴスペル

1865年に奴隷制度が廃止されると、今までの「見えない教会」(invisible church)から、「見える教会」(visible church)へと変わっていきます。

解放された黒人たちは、南部から北部都市のシカゴへ集まり、黒人の人口は徐々に増えていきました。多くの黒人は奴隷制度反対を表明していたプロテスタントのメソジスト派やバプティスト派を選ぶようになり、やがて黒人の牧師が誕生しました。「見える教会」(visible church)の始まりです。

いわゆる黒人教会の礼拝では、まず牧師が原稿をゆっくり読み始めます。口調は徐々に早口になり即興になり、すると感情が高ぶってきた会衆はついに立ち上がり、牧師の言葉を繰り返すようになります。このような「コール&レスポンス」が始まると、オルガンの音が加わり、最後は神を讃える「歌」に変わっていきます。

いまあるゴスペルの形ができあがったのは、1920年代後半のシカゴのバプティスト派教会だと言われています。

ちなみに、黒人霊歌(ニグロ・スピリチュアル)では旧約聖書のお話が題材にされることが多いのに対し、
ゴスペルでは黒人の多くがプロテスタントだったため、イエス=キリストの物語が書かれた新約聖書の言葉が歌詞に使われています。

その後、さまざまなアーティストが素晴らしい作品を発表し、ゴスペルは形を変えながら現在まで歌い継がれてきました。

終わりに

終わりに

ゴスペルは、奴隷としてアフリカから連れて来られた「黒人の受難」から始まり、「キリスト教の救い」との融合を経て今の形になりました。

いま現在もどんどん進化し続けていますが、ここ日本でも独特な進化を続けているように思えます。日本でのキリスト教人口は、わずか0.8%であり、マイノリティーといえる状況です。しかし日本という国は、良くいえば「おおらか」であり、悪くいえば「いいかげん」ともいえ、はるか昔から自分たちにとって都合のよいものを上手に取り入れてきました。クリスマスやハロウィン、バレンタインなどがいい例で、外来のものを日本風にアレンジをかけ生活に溶け込ませていく文化を持っています。

アメリカ生まれのゴスペルも、信仰をベースとして歌っている方もいれば、曲や雰囲気がカッコいいと思って歌われる方も多くいます。
また何となく、合唱は敷居が高いけれどゴスペルなら歌ってみたいと考える方もいるでしょう。

私個人としては、ゴスペルの歴史的経緯や精神を尊重し大切にしながら、今後も楽しくゴスペルを歌っていきたいと考えています。

私たち日本人にとって「ゴスペルとは」という問いはとても難しく、できるだけ【わかりやすく解説】を心掛けましたが、本文ですべてを解説することはできません。しかし何となくでも、ゴスペルってこんな歴史があったんだ、と思っていただければ幸いです。

終わりに、ゴスペルの女王と言われたシンガーの言葉をご紹介させていただきます。

Bluces are the songs of despair, and gospel songs are the songs of hope.
(ブルースは絶望の歌だけど、ゴスペルソングは希望の歌なのよ)

~Mahalia Jackson (マへリア・ジャクソン)~

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参考書籍

※今回のブログ作成において、下記の書籍を参考にさせていただきました。

「はじめてのアメリカ音楽史」ジェームス・M・パターソン 中里哲彦 ちくま新書
「新版 ゴスペルの本」 塩谷達也 YAMAHA
「歌って生き抜け 魂のコーラス」 木島タロー ギャラクシーブックス
「魂をゆさぶる歌に出会う」 ウェルズ恵子 岩波ジュニア新書

※無料体験レッスン 随時受付中 ♪
東京・銀座ゴスペル教室 Milky way Choir

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